鴨の氏人5人

鴨の氏人5人

応徳元年(1084)に京都賀茂社の祀官・原  吉高と共に鴨の氏人五家は、仁尾に定住し五苗「塩田、吉田、河田、鴨田、倉本」と呼ばれ、以後供祭人として往古より現代まで神事に関与してきました。(原家古文書)

ご神船・北野丸(安政5年(1858)造)の船頭(ふなとう)を務める宮本氏と共に、これらの特定の者や特定の地区が神社に関与する慣習を学術用語で宮座と呼びます。

2000年頃まで秋季大祭の頭人は五苗から選ばれていましたが、現在は全氏子の中から頭人が選ばれます。