由来と背景
鎌倉・室町と武家が台頭して来た南北朝時代、足利将軍家の内乱に始まる観応の擾乱において足利尊氏の武将・細川顕氏のもと、仁尾の神人が活躍してその戦功によって観応二年(1351)に大蔦島から現在地に賀茂神社が遷宮されました。のちの四国管領・細川頼元によって明徳二年(1391)に別当神宮寺が境内に創建されると当賀茂神社の秋祭りには毎年細川家の使者が参向するようになり、その使者を10万石の格式(と云われる)をもって供祭人・氏人が丁重に歓待したその慣行が今に残る長床神事の始まりです。
長床神事は秋祭りと一体をなしており、古くは旧暦の9月15日に行われていましたが現在は10月の第2日曜日に行われる秋祭りの日に、町内巡幸に出るご神霊を「頭人」「年寄」たちはお供をせずにお見送り(オマエダシと言います)したのち、長床棟において床の間を背にする細川管領家の二人の使者(現在は年寄が代わりを務める)を、年寄と頭人が左右に座り謡曲が謡われる中、「舞酌」と呼ばれる六人の子供たちが長柄銚子を持ち三度回りながら酌をする。用いる料理は古文書から再現したご神法料理で神事は、長熨斗納め、初献の儀、二献の儀、三献の儀、納めの盃、と古式にのっとり続きます。
やがてご神霊が巡幸からお帰りになると、ハナデンと呼ばれる天狗役がお迎えに出るようにと伝えに来ますが、まだまだもてなしが足らない、と言って天狗に酒を振るまい返します。これを何度か繰り返したのち(ナナタビハンノツカイ”と言います)やっと年寄と頭人・舞酌が腰を上げ一の鳥居まで迎えに出ます。迎えに出ることで長床神事が終わります。巡幸からお帰りになったご神船は船尾を少し鳥居から出したままとどまり、迎えの頭人、年寄、舞酌が居並ぶと、ご神霊はホーレンに移され浜ノ宮に向かい安置されます。その後、熊毛・鳥毛・槍・薙刀・獅子・太鼓台の奉納が勇壮に行われ秋祭りが終了します。
ご神霊がホーレンに乗り、ご神船に乗換え、再びホーレンに乗るという複雑な動きや、頭人・年寄等の迎えがないと還御できない、など他に例を見ない祭式です。見どころ!とも言えます。
当長床神事は平成19年及び平成29年の2度にわたり、日本の伝統文化の継承に多大な貢献をされている「明治安田クオリティオフライフ財団」より助成を受け、古くなった舞酌の衣裳(裃)を新調することが出来ました。これを機に当ホームページを立ち上げるとともに、その広報誌に長床神事について寄稿いたしました。
長床神事初献の儀
迎えを促すハナデン(天狗)に、まだまだ と酒を勧める頭人たち
長床神事 香川県指定無形民俗文化財