一の鳥居由来

一の鳥居由来

碑文

一の大鳥居は宝永3年(1706年江戸中期のころ東山天皇の時代)十一月十日当社神主、第三十六代「原石見守源盈諸(はらいわみのかみみなもとのみつもろ)」がかねて懇意にしていた丸亀藩主「若狭守京極高或公(わかさのかみきょうごくたかもち)(丸亀藩三代藩主)」を当浦にお迎えするにあたり、当時藩内随一の大鳥居を建立して歓迎する。京極公より歌一首賜る(歌碑有り)。

鳥居建立にあたり、仁尾浦・吉田市兵衛茲故並びに総氏子これに協力する。

原神主は、三野・豊田両群をはじめ仲群の総神官の代表をも務める。

本鳥居の補修にあたり由来を記す。            平成六年十月吉日

 

注:元禄六年(1693)の賀茂社宮司裁許状に 三十六代 原石見守盈諸 と記録あり