賀茂神社由緒石碑

賀茂神社由緒石碑

碑 文

仁尾明神 賀茂神社由緒

祭神 賀茂別雷大神

当社は、応徳元年(1084)山城の国(京都)賀茂大神宮の御分霊を畏くも白河天皇の勅許を得、原斉木朝臣源吉高が鴨の氏人と共に讃岐国内海(仁尾)津多島の清地に奉斎された。

寛治四年堀河天皇は当地を全国九個所の御厨の一つと定め讃岐国内海津多島供祭所として不輸田六百余町と共に京都賀茂両社に寄進された。

承安元年源三位頼政武運長久祈願のため釣灯篭を奉献された。延元四年征夷代将軍足利尊氏公繁栄祈願所となる。正平五年(観応二年)細川顕氏御分霊を津多島より現在地網の浦に御遷宮し観応元年社領に禁制を与えられた。永徳三年管領細川頼之神人に教書を下された。明徳二年管領細川頼元別当神宮寺を創建爾来祭礼には毎年管領職より使者の参向があり氏人と供祭人は使者を丁重に歓待した其の慣行が現在の長床の儀式である、この長床の儀式は香川県指定の無形文化財として今日まで守られている、尚当浦は海上交易通商文化の要衝であった。享保三年土佐藩主山内豊隆が参勤交代の砌(みぎり)始めて当浦より乗船して以来年々祭祀料を寄進された。

昭和から平成の御代となり即位の礼、大嘗祭を記念し神社の環境整備を実施合せて由緒を刻すとともに仁尾明神賀茂神社の繁栄と氏子各位の御健勝を祈念する。

平成辛未三年十月吉日    賀茂神社 宮司 源朝臣 原 年高     大嘗祭記念賀茂神社環境整備委員会