津多島(蔦島)

津多島(蔦島)

津’とは船の停泊できる所を言い、津が多い即ち「津多」天然の良港であり、仁尾からは西から来る船影が一望でき、かつ島影に多数の船を停泊させても沖からは島が七宝山脈と同化して視認できないことなど、仁尾は軍事の要衝でもありました。
西讃府志には以下の記録がみえます。

細川讃岐守義春が伊予の河野(こうの)氏と対峙するため、文明11年(西暦1479年)仁尾及び観音寺に二万余の軍勢を集結し、兵船数百艘をもって伊予へ押しわたる。

仁尾については、仁尾|戦国日本の津々浦々でも海上交易の拠点として詳しく紹介されています。

賀茂社の供祭人が代官の香西氏の罷免を要求した古文書(讃岐国仁尾浦神人等謹言上)が残っており、仁尾の神人が代官の罷免を要求するほどの力を持っていたことが伺えます。