父母峠(ちちぶとうげ)のお地蔵さん

見直そう、ふるさと仁尾

父母峠(ちちぶとうげ)のお地蔵さん

最近フェイスブックやインスタグラムなどのSNSで有名になり、大潮の日の夕方になると南米ウユニ湖と似ている・として、夕日とともに干潟の水面に映る姿を撮りに大勢の人達でにぎわう父母ケ浜(ちちぶがはま)ですが、観音寺へ向かう旧道の父母峠にこんな話が伝わっています。

 

 

仁尾から曽保に向かう旧道(天王(てんのう)地区)の父母峠の中腹に「父母地蔵堂」が建っています。お堂には五体の石仏がお祀りしてあり、真ん中に厄除地蔵菩薩、左に延命地蔵と子安地蔵、右に身代わり地蔵と子持ち地蔵が並んでいます。

このうち最も古いとみられる身代わり地蔵には今も首に大きな傷が有り、一度切り落とされたものをまたつないだような跡があります。これには次のような話が伝えられています。

寛和(985年)の頃、近くの村に夫婦と子供一人の仲の良い家庭がありましたが、ある日どうした事か、その子供が急にどこかへ行ってしまいました。途方に暮れた夫婦は、可愛い我が子を探すため、西国まわりに出かけました。けれどもなかなか見つからず、ようやくこの父母峠にやってきたのです。ふとお堂に立ち寄り、おこもりをしながら一心にお地蔵さんに願掛けをしました。ところがある夜、一人の賊がやにわに刀を抜いて夫婦に切りかかってきました。しかし不思議なことに、お地蔵さんの首が切り落とされただけで夫婦は無事でした。

のちにこの賊は、夫婦があれほど探して求めていた我が子であったという事がわかり、夫婦は仏恩のありがたさに涙し、草庵を結んでお地蔵さんを供養したということです。

それ以後人々はこの峠を「父母峠」お地蔵さんを「身代わり地蔵」と呼び、大切にお祀りしています。普門院素真法院が約二百年前に現在地に移しました。

今でも八月二三日の地蔵盆には多くの信者が訪れています。また毎月二三日の地蔵さんの縁日には仁尾詠歌連の人達が、本堂いっぱいに広がる大数珠を手に百万遍の「じゅず繰り供養」を続けています。

 

旧仁尾町広報誌「ふるさとの昔話と伝説」より