2024年5月7日
見直そう、ふるさと仁尾
御神楽は『古事記』や『日本書紀』になどに書かれている、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あめのいわと)にお隠れになったとき、天岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめのみこと)が神懸りをして舞ったものがはじ
2024年5月4日
仁尾町の歴史や文化を次の世代の子どもたちに伝える活動をしている「仁尾のええとこ探偵団」が賀茂神社に残る「藤六・姫夜叉女・子息売券」の古文書をもとに一冊の絵本を作りました。 天災による飢饉に加え、厳しい年貢の取り立てに農民
2024年4月4日
藤六・姫夜叉女子息売券(とうろく・ひめや しゃ め しそくばいけん) 本古文書は、数少ない鎌倉時代の人身売買文書で、学術的にもたいへん価値が高いものです。内容は、讃岐の国草木荘に暮らす夫婦が数え八歳になる千松(せんまつ)
2021年8月28日
賀茂神社神人(じにん)と嘉吉(かきつ)の乱 嘉吉の乱は嘉吉元年(1441)6月24日に足利幕府6代将軍足利義教(よしのり)が播磨の国人大名・赤松満祐(みつすけ)に赤松邸で殺されたことに始まる一連の騒乱で、この時から足利幕
2018年1月14日
賀茂神社の古文書と石碑
碑 文 仁尾明神 賀茂神社由緒 祭神 賀茂別雷大神 当社は、応徳元年(1084)山城の国(京都)賀茂大神宮の御分霊を畏くも白河天皇の勅許を得、原斉木朝臣源吉高が鴨の氏人と共に讃岐国内海(仁尾)津多島の清地に奉斎された。
新古今和歌集撰者 藤原家隆公歌碑 大嘗祭記念環境整備事業 平成四年三月建立 壬生中納言 光隆乃子 後鳥羽院上皇信任厚 新古今和歌集撰者 正三位藤原家隆 網の浦 波風も 能登可なる世能 春耳あ飛て な
碑文 応徳元年甲子年(1084) 賀茂皇太神宮網浦影向地 天保十一年庚子初夏 宮内小丞賀茂 清谷書 天保十一年(1841)建立 網の浦影向地とは 山城の国賀茂皇太神宮は皇室の氏神であり、神武天皇以前の神とし
碑文工事中
注連石由来 宮司 原 正圀 この注連石は詫間町の鴨の越の入江にあり漁船の通行の邪魔となり大変困っていた、それを聞いた河田安右衛門氏、神社の氏子年寄は相談して塩田忠左衛門氏と石匠木下熊吉に協力を依頼した。秋晴れの大
宝永五年十一月 丸亀藩主若狭守 京極高或(きょうごくたかもち)公仁尾明神賀茂社参詣乃砌(さんけいのみぎり) 雪乃昏 可毛の宮居に 一休み ゆきのくれ かものみやいに ひとやすみ 神すゝ志免や 原乃盈諸 かみすすしめ
見直そう、ふるさと仁尾一覧